ブラッシングと全身の健康維持・増進
健康な歯周組織の獲得とその維持・増進のために行うブラッシングは、全身の健康にも効果を現し、さらに爽快感の自覚(まず、肩こりなどすっかりなくなる)が、全身の健康創りに対する興味と意欲をわき立たせ、自信をもって次の課題に取り組むようなものでなければならない。
そのためには、幾つかの補助的方法も用い、それらの相関・相乗効果を活用し、さらにブラッシング効果が高まるようにする。
数年の間には、再発の予防も、またむし歯予防効果までも確認され、口腔諸組織・機能の健康増進が全身の健康を促進増強する。そして更に、身体の一部としての口腔の健康化をいっそう増進する。
「ギリシャの古い諺にMens sana in corpresano、すなわち『健全なる精神は健康なる身体に宿る』というのがあるが、私は、Dentes sani in corpore sano、すなわち『健全なる歯牙は健康なる身体に生ずる』と言いたい。」との柳金太郎(口腔衛生会誌,第1巻 第1号 昭和27年8月)の言葉が思い出される。
1つの習慣を改めるために、その必要な補助的手段にむずかしさが伴えば、かえって目的達成には逆効果になる。その点から補助的手段は、やる気さえあれば抵抗少なくできる方法が望ましい。
妥当、適切なブラッシングの励行が歯周組織、特に歯肉に与える治療効果は、患者自身の観察によっても確然と認められる。特に処置前のカラー・スライドと比較するとき、わずか数日間の自ら行った「指示された療養」の驚異的効果は努力の苦しみを忘れさせ、自己改革の自信を生み、新たな目標に対する意欲を昂揚する。
そのときの指導の如何によっては歯肉だけではなく、全人的に影響する点に深く注目すべきではなかろうか。
この治療の経過の中に、自分の生活習慣の一部を変えることによって健康を回復し、維持し、そのうえ増進することさえ出来るという体験を通して、健康創り(自己改革)を学習し、その効果のめざましいことを認識することができる。
歯科医療の任務が口腔諸組織・諸機能の回復と維持・増進にあるならば、咀嚼機能に関しては、完全咀嚼を可能になるまで指導し、達成させる。
そのためには完全咀嚼の必要性と、それに相関する唾液の分泌量とその効用の問題、咀嚼筋群の運動とその効果の問題、これらの情報を提供し、一ロ50回噛みを励行するようにまで誘導し完成しなければならない。
諸組織の健康維持・増進のためには完全咀嚼の食事指導はもちろん、食物、呼吸法の指導、発音障害の矯正までも含まれているはずである。従って、これらの事柄に関する指導も、適正なブラッシングの習慣化までの過程で付随的に行われなければならない。
老若男女、またすべての年代を通じ、あらゆる人たちに、治療の場での当然必須の任務として、健康創りの基礎教育を遂行するのに、歯科医療ほど適切なものは無い。この認識と自負は、従来も現在も、また将来も変わることはない。
ブラッシングこそまさに健康創りの必須初動(生活改善)準備処置の主役であると理解すべきである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歯科医は歯を治すことはできない。しかし、治療技術によって形態、機能を回復し、再発を防ぎ、長もちさせ、治ったかのように治すことができるので、医者として認められている。
長もちさせることは、口腔諸組織が健康であり続けなければ望めない。
病弱者の口腔諸組織の健康は、特別な健康法(適正なブラッシングの励行を堅持すること)によって守られ維持されはするが、健康体の管理された口腔ほどには健康であるはずはない。
健康体に口腔の健康は生まれ、正しい咀嚼法のもとに、正しい食生活、正しい呼吸法、正しい運動によって健康は維持され増進される。
口腔の健康回復とその持続のために、治療方法のなかにブラッシングによる治療方法を、補助法としての健康法とともに取り入れ、治療完了までに習慣として定着させる。治療完了後は、口腔の健康が長く維持され、全身の健康は口腔諸組織の健康化によって促進され、増強される。
歯科医療における、治療のためのブラッシングは、同時に修復効果の持続を目標とする再発防止の手段にもなる。
このような治療・予防の合体の必要性については、一般衛生学、公衆衛生学の立場からは必ずしも直ちに理解・容認されるものではなかった。そのなかにあって、歯科医は歯科医療の正しいあり方を守り、広げるために、苦慮し苦闘してきた。
今や医学の現段階での成果として、外因性感染症の劇的減少を勝ち得たし、したがって平均寿命をめざましく延ばし得ている。しかし文明病といわれる諸々の成人病、習慣病が広がっている有様は、まさに口腔疾患の姿に酷似するようになった。
この治療と予防対策は,各方面で模索検討されているが、今後しばらくは、歯科診療のあり方が1つの前例として、先輩として、模範として、見直され、学ばれ、見習われることであろう。
歯科の現在と将来は、健康創りの基礎、基盤を固める専門科としてあるばかりでなく、正しい運動法までを顎運動の矯正指導に含め行うとすれば、基礎作りだけでなく、まさに健康の殿堂を打ち立てる指導者の役割を持つことになるであろう。
これらのすべてがブラッシング指導にかかっている。ブラッシング指導の意味と現在位置を見失わないことが肝要である。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この論文は、昭和56年に発表されている。
片山が、こうした歯科医療の特殊性と重要性を認識しての臨床を当時既に行っていたことを考えれば、まさに驚嘆に値する。
片山は、患者の生活習慣を変えていく指導の困難さを痛感していたが故、聴講者がその重要性と必然性とを理解し、的確に実行し得るかどうかが、彼の生涯の危懼であったのではないだろうか。